台北歴史散歩の旅 (22) 新荘

台北歴史散歩として「大稲埕」、「萬華」、「市内中心部」、「市内南部」と歩いてきたが、この旅行の最後に訪れるのが「新荘」。台北に「新荘」という地域があるのを知る人は少ないと思う、僕も最近まで知らなかった。「新荘」は台北駅から西へ約10km、MRT中和新荘線で6駅目、淡水のほとりにある新北市の小さな街。この街は大陸から渡ってきた漢人が最初に作ったいわば台北のルーツみたいなとこ。港湾都市として栄えた歴史的順序は「新荘」→「萬華」→「大稲埕」となる。

MRT新荘駅の地図。東西1kmくらいの狭いエリアに歴史のある寺や廟が散在する。



MRT新荘駅から中正路沿いに東へ歩くと小さな公園の手前に「地蔵庵」の門が見えてくる。

「地蔵庵」という名前から小さな庵を想像していたら、思ったより大きな寺やった。

例によって、参拝順序が記された配置図。首座は地蔵王菩薩で仏教、しかし港町だったからと思われるが天后(馬祖)も祀られているし、その他道教の神様らしき名前もある。宗教に関わらずなんでもOKというのは他の寺や廟と同じ。

寺ではあるが、建物は今まで見てきた廟と変わらない、ただしかなり豪華。若い人から年配の人までお参りする人たちで混み合ってた。 今回まわった中では龍山寺の次に人が多かった。

びっくりしたのがお供えの種類と量。どこの寺廟でも果物などのお供えがあったが、ここは桁違い。今すぐ食べ物屋を初められるくらい。その傍らでは合唱してお経を唱える人たち。

屋根飾りが立派なだけでなく、屋根を支える部分の微細な彫刻も豪華。

入り口近くの小さな祠の屋根には人物像が乗っていた。

地蔵庵から裏道を通って中港路を中正路方面へ戻る。途中、新荘国小の外壁に描いてあった絵。

中正路を越えて新荘路まで行ったところにある「広福宮」。資料によると、この廟は広東省から来た客家の人たちが1780年に造ったもの。しかし、1841年に起こった福建省出身者との武力闘争で焼かれ、客家の人たちは別の地域へ追い出されてしまうという歴史背景がある。 その結果、この廟は華美な装飾や扁額もない独特な廟になったという。

今まで見てきた廟は大小や流行り廃りの違いはあれ、概ね福建ルーツの台湾風という点では似ていたので、タイプの違う「広福宮」を見るのをたのしみにしていた。ところが訪れてみると、周りをがっちりと囲まれて修復工事中。

信者のために細い通路から中に入れるようになっていたので入ってみる。残念ながら、殆どの部分はカバーで覆われていたが、一部の壁や扉はモノトーンの装飾のない廟内を連想させるような雰囲気が感じられた。

一部の壁は白く塗られていたし、修復が終わって他の廟のようにきらびやかになるのは信者にとっては喜ばしいことやろうけど、昔の姿が変わってしまうのは残念。

「広福宮」のすぐ前にあるのは「福徳祠」。2面をビルに囲まれた角地にあってすごく小さい。 こんな小さな屋根でも台湾風の飾り付けをすると、中央に福禄寿の3人、両側に龍、跳ね上がったところには鳳凰と全部載せするので楽しいことになってしまう。
左側の道路はメインストリートの新荘路。このあたりは商店もなく、駐車場のようになっている。

中に入ってみると、小さいながらも年代を積み重ねた重厚さがあり、天井近くに掲げられた「新荘」の札が年季を感じさせる。

次に向かったのが新荘路から一本川寄りの碧江街にある「新荘文昌祠」。1857年建立、祀られている文昌帝君は学問の神様。この廟にはシンプルで綺麗な屋根があるのに、トタン屋根の増設で外観を台無しにしてしまっている。

壁には麒麟の絵。龍と鳳凰はどこの廟でもほぼ100%屋根に乗っているけど、麒麟が出てきたのは初めて。

淡水沿いの道路の脇には高い壁が造られていて川が見えない。すぐ近くに歩道橋のようなものがあるので行ってみる。

淡水を横断する端かと思ったら、壁の向こう側へ超えるだけの短い橋。欄干に結び付けられているのは絵馬のようなもの。「新荘文昌祠」の札に願い事を書いてここに吊るしているらしい。

塀の反対側は自動車用道路、この歩道橋は中央分離帯へ降りるためのものだった。先に見える淡水を渡っている橋は「新海大橋」。

再び新荘路に戻り西に行くと「新荘慈祐宮」がある。正面には新年の午の飾り付けがしてあった。バイクの駐車は病の前でもお構いなし。

おみくじの札を取る人。廟の造りは荘厳なのに、札は今風にカラフルで電光掲示板まで付いていて変にアンバランス。台湾の人はあまり気にしないようだ。

廟の内部。ここも馬祖を祀っている。 建物の中央は本来は吹き抜けだったのに、ビニールトタンの屋根が造られている。床の中央も一段低くなっているはずのところが床上げされている。雨風を防げるようになったために、装飾なども増えているが本来の華やかさの影の素朴さみたいなのが失われたように思えて少し残念。

これは「杯筊(ポエ)」というもの。木製の三日月形をしたもので、片面が丸く、反対側が平ら。他の廟でもお祈りしながらこれを投げている人を見かけて、何をやっているのか分からなかったが、調べたところによると、

  • 2つをセットにして持つ。
  • お祈りしながら、神様に質問する(所定の手続きあり)。
  • 杯筊(ポエ)を投げる。
  • 上になった面が、片方が平ら、もう一つが丸だったら答えは「Yes」。
  • 両方とも丸かったら答えは「No」。
  • 両方とも平らだったら答えは「分からん」。

という使い方をするらしい。

コインと違って、丸いか平らかの確率が50%とは言えないけど、もしそうだとすれば、「Yes」の確率が50%、「No」と「わからん」が各25%なので、質問はポジティブな内容を聴くのが良さそう。

新荘路もこのあたりから商店が軒を連ね、賑やかになってくる。ただ、この細い通りをバイクがひっきりなしに行き交いするので歩くには注意が必要。

途中で売っていたトマト飴。プチトマトを串に刺してりんご飴のように飴を掛けてある。パリっとした飴を噛み割るとトマトの味が口に広がる。日本のプチトマトより甘く感じた。

通りを行く途中にあった建物。この街ではめずらしくバロック風。階上に「十徳堂」、入り口上に「林泉成」とある。1階は商店として使われているが、2階の窓には木が打ち付けられてあるので今は使われていないかも。

さらに西に進んで「新荘武聖廟」に到着。廟の大きさ、形とも先ほどの「新荘慈祐宮」に似ている。ここも軒下に電光掲示板を使っていた。

入り口脇の壁には龍のレリーフが彫られている。

ここも中央部分に半透明の屋根が掛けられているが回廊の部分が薄暗くて落ち着いた雰囲気。

天井を見上げてみると、みたことのないような組み木細工。「新荘」がかつて栄えた街だった所以か。

廟の前に停まっていたバイク。六本木ナンバー。

新泰路との交差点あたりは賑やかだが、さらに西へと進むと商店がまばらになって寂しくなってくる。 そんな中、突然現れたのが「全安宮」。小さな廟で道路側に側面を見せている。

隣のビルの敷地のようなところへ入ってみると正面はちゃんと廟の体裁をしていて、お参りしているひともいる。

次に「覚明寺」というお寺を目指すが、そこまでの路がわかりづらい。細い路地を取り抜けて辿り着く。 今までの寺廟とは違った趣。

本堂の建物もいろいろなものをくっつけて造った感じ。柱の脇には象の置物。

再度新荘街へ戻る。この辺りは街の西端で人通りも少ない。こんなところになにかあるのかと疑いつつ進むと、「新荘海山里福徳宮」を発見。これは、ミニチュアサイズの廟。個人の家に間借りしているように見える。

この廟を最後に駅へ戻る。 途中屋台で香腸を一本、30元(約100円)。


新荘地蔵庵 (新北市新荘区中正路)

広福宮 (新北市新荘区新荘路)

福徳祠 (新北市新荘区思明街)

新荘文昌祠 (新北市新荘区碧江街)

新荘慈祐宮 (新北市新荘区新荘路)

新荘武聖廟 (新北市新荘区新荘路)

全安宮 (新北市新荘区新荘路)

覚明寺 (新北市新荘区豊年街51巷17弄)


関連リンク
台北歴史散歩の旅 (1) 成田から台北へ
台北歴史散歩の旅 (2) 小黒炭烤 胡椒餅
台北歴史散歩の旅 (3) 福州元祖胡椒餅
台北歴史散歩の旅 (4) 鮮定味生猛海鮮
台北歴史散歩の旅 (5) 台北之家・光點台北
台北歴史散歩の旅 (6) 雙連朝市、文昌宮
台北歴史散歩の旅 (7) 大稲埕へ向かって西へ歩く
台北歴史散歩の旅 (8) 大稲埕 – 迪化街
台北歴史散歩の旅 (9) 大稲埕 – 貴徳街など
台北歴史散歩の旅 (10) 北門から西門へ
台北歴史散歩の旅 (11) 萬華(艋舺)
台北歴史散歩の旅 (12) 阿城切仔麵
台北歴史散歩の旅 (13) 温州大餛飩
台北歴史散歩の旅 (14) 市内中心部
台北歴史散歩の旅 (15) 一條龍餃子館
台北歴史散歩の旅 (16) 市内中心部(続き)および市内南部
台北歴史散歩の旅 (17) 永康街
台北歴史散歩の旅 (18) 芒果樹
台北歴史散歩の旅 (19) 臨江街朝市
台北歴史散歩の旅 (20) 明月湯包
台北歴史散歩の旅 (21) Ice Monster
台北歴史散歩の旅 (22) 新荘
台北歴史散歩の旅 (23) 士林夜市
台北歴史散歩の旅 (24) 雙連高記水餃店
台北歴史散歩の旅 (25) 秀蘭
台北歴史散歩の旅 (26) 好茶坊
台北歴史散歩の旅 (番外編) 台北で見た変なもん

スポンサーリンク

フォローする