「大分・福岡旅行(7) – 臼杵から博多へ」からの続き。
3日目は福岡県朝倉市にある旧秋月藩に行ってみる。秋月藩は黒田官兵衛の孫で黒田長政の三男にあたる黒田長興が福岡藩より5万石分けてもらってできた小さな藩で以来幕末まで秋月黒田家として続いた。内陸の小さな藩で、明治維新以降は時代に取り残されたようなところなので昔の町並みが残っているという。
難点は交通の便があまりよくないこと。JR鹿児島本線で基山(きやま)まで行き、そこから甘木鉄道で終点の甘木へ、最後はバスかタクシーというルートにして出発。
甘木鉄道の車両。
ワンマンカーで1両編成の車内の雰囲気はバスに近い。
甘木鉄道は第三セクター方式で運営されている鉄道会社。線路は当然単線。列車は田園風景の中を走って行く。
終点の甘木に到着。これは次に出発する車両。
本数が少ないので、帰りの時刻表を確認しておく。
秋月までのバスの本数はもっと少ない。
接続が悪く、次のバスまで1時間近くあるので秋月まではタクシーにする。
秋月の郷土館前に到着。
まずは帰りのバスの発車時刻を確認。
予め手に入れておいた秋月の観光マップを手に歩き始める。この地図には親切なことに、観光ルートを1時間、3時間、半日と3つ色分けして載せてある。いちおう半日コースを参考に、早足で歩くことにする。
秋月の旧市街の中心部は縦横約1kmの範囲に収まるくらい小じんまりしている。タクシーを降りたところから野鳥橋を渡るとそこから南に向かってメインの通りが走っている。この通りの東側に秋月城跡や旧秋月藩の建物が残っている。通りの西側は武家屋敷や商家があった一般市街。
この日は朝から曇っていたが天気が良くなってきた。写真は野鳥橋の上から見た風景。
南北に伸びるメインの通りは「杉の馬場」という名が付いている。両側の木は杉ではなく桜。
最初に目につくのが「秋月郷士館」。秋月藩の上級武士の屋敷と藩校「稽古館」の跡地に造られた強度美術館と適し資料館。時間があれば戻ってくることにして、先をいそぐ。
秋月は日本で最初に種痘が行われたところで、その記念碑があった。
道の東側は石垣、西側は漆喰壁。観光客はほとんどおらず、ひっそりとしている。
秋月城跡前の石垣と堀。
堀を渡る「瓦坂」。たぶん、これが秋月城の正面入口になると思われる。正面奥は秋月中学校になっている。昨日見てきた臼杵城跡と比べてもはるかに小さい。
さらに南へ進むと長屋門へと続く階段がある。
この長屋門は1850年に造られたもの。修復されてきれいになっている。
さらに南側にあるのが「黒門」。これは秋月城の大手門だった門で、元々は瓦坂の奥に建っていたものを移築したらしい。
杉の馬場通りの南の端には「秋月八幡宮」の鳥居があった。ここから先の杉林の中の道は昼間も薄暗くて人通りもない。
杉の馬場通りを戻って、中程から西へ移動。「久野邸」という武家屋敷があったが、残念ながら改装のため見学できなかった。
中に入れないので塀の外から見るしかないが、割りと大きな屋敷。屋根は瓦葺きでなく茅葺き。
地図にはすぐ近くに「中島衡平屋敷跡」というのがあったので行ってみる。あったのは立て札だけ。
「月見坂」という坂を登って行くと「旧田代家住宅」という武家屋敷がある。
見学できるので入ってみる。座敷へは上がれないが家の周りをぐるっと回れる。
広くはないが、手入れされた庭。
庭から座敷と縁側を見たところ。昨日臼杵で見た「平井家住宅」と造りが似ているが、こちらの方が一回り小さく、簡素な感じがする。
座敷の障子を開け放つとすぐ裏庭。夏は涼しそう。
板の間もあり。
土間には入ることができた。ここには天井を張っていないので茅葺きの屋根の裏側がよく見える。
月見坂を戻り、ガイドマップの半日ルートに沿って西へ向かう。日蓮宗の「本証寺」という寺があった。
山門は飾り気がないというかかなり簡素。
この門に掛かる「福王山」の額は秋月黒田氏初代の黒田長興の自筆とのこと。
「本証寺」を過ぎて少し行くと今度は浄土真宗の「西念寺」が見えてくる。建物の窓の形に特徴がある。
境内に入ってみる。等のように見えたのは霊廟。まだ新しい。
「今小路橋」という端を渡る。
秋月を東西に横断するバス通り、国道322号線に出る。この道はタクシーで通ってきた道。この道を少し西へと行けば、「眼鏡橋」。
そして、ここが旧秋月城下町の入り口。
国道を引き返して東へと歩く。たばこののぼりしかないけど、和菓子屋を発見。
秋月名物のくずもちにも惹かれたが、
食べにくそうなので、よもぎの饅頭。
さらに通りを進んでいくと、なにやら由緒ありげな店。
入ってみると、有名な本葛専門店の廣久葛本舗の本店。
店内ではくずもちも食べられる。
ので、さっそく。
秋月は葛の産地で、山で採れる数十年者の葛の根は丸太のような太さ。
くずもち休憩から散歩に戻る。通りには町家が並ぶ。その中でも一段と目を引くのが「石田家住宅」。築年1799年、今も使われている建物はどっしりとしていて美しい。
傍らのバス停も風情あり。
おそらく、明治時代の建物ではないかと思うけど、窓ガラスのデザインが斬新。
旧市街の北半分を回り終えて元の場所へと戻ってきた。市街の南西部に小さなお寺が散在しているので廻ることにする。
まずは「浄覚寺」山門はちいさいながらも2階建てで立派。
次に行ったのは黒岳の菩提寺の「古心寺」。山門は分かりにくいところにあるけど、大胆なデザイン。
本堂は小さいが落ち着いた佇まい。
さらに小さな門があって、この中が黒田家の墓所。
ここには黒田長政、秋月黒田家歴代藩主やその夫人の墓がある。
次に向かったのは「大凉寺」。市街の西の端の奥まったところにある。ここは長政夫人(大凉院殿)が亡くなった時に改称された寺。
本堂は大きくないが、屋根の曲線が優雅。
次の寺は「長生寺」。山門に並んで鐘楼がある珍しい構造。
そして本堂。
街の中心部に戻って歩いていたら「秋月小学校跡」の石碑を発見。ここは明治初期の「秋月の乱」で秋月党の残党が襲撃した討伐本部があった場所。
昼ごはんの場所を探していたが、街中歩いて食事ができる場所は、このラーメン屋と、
このカレー屋の2軒だけ。観光のシーズンオフとはいえ、ちょっとさみしい。
で、カレーを食べる。けっこう美味かった。
帰りのバスまで多少時間があったので、中に入らなかった「秋月郷士館」へ行ってみる。
資料館の展示品の目玉は黒田家ゆかりの兜。
そして、「島原出陣屏風」。
敷地内には秋月藩の上級武士だった戸波家の屋敷が残っている。周りに庭を配した造りは今まで見てきた武家屋敷と同じ。屋根が瓦でなく茅葺きというのは秋月の武家屋敷共通でちょっと田舎っぽい。
予定していたバスに無事乗車。
甘木には甘木鉄道と別に西鉄も来ているので、帰りは西鉄を使うことにする。
西鉄甘木駅。
この列車で博多へ戻る。この後は福岡市博物館へ行く予定。
関連リンク
大分・福岡旅行(1) – 羽田から臼杵へ
大分・福岡旅行(2) – 臼杵街歩き(その1)
大分・福岡旅行(3) – 臼杵街歩き(その2)
大分・福岡旅行(4) – 臼杵でふぐを堪能
大分・福岡旅行(5) – 臼杵石仏
大分・福岡旅行(6) – 臼杵城跡〜稲葉家下屋敷
大分・福岡旅行(7) – 臼杵から博多へ
大分・福岡旅行(8) – 秋月日帰り小旅行
大分・福岡旅行(9) – 福岡市博物館