多摩川七福神

正月2日目は昨年2014年にできたばかりの多摩川七福神をめぐる。大田区がマップを作っているのでダウンロード。

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多摩川七福神は下丸子~矢口の地域に集中していて、ここの寺社や史跡の多くが新田義興の逸話に関わっていること。

という訳で、新田義興についての簡単な説明 – 新田家は足利家と並ぶ源氏の名家で善興の父新田義貞は後醍醐天皇のもと、鎌倉幕府滅亡に功績を挙げたが足利尊氏と争って戦死。息子の善興は尊氏の死後に挙兵して鎌倉を狙うが、尊氏の子の基氏、関東管領の畠山国清の命を受けた竹沢右京亮、江戸高重に矢口渡で謀殺された。その後、義興謀殺に関わった人が狂死したり、不審なことが続いたので、義興の霊を慰めるために新田神社をつくったという。この新田神社も七福神に含まれている。

多摩川七福神めぐりは、新田の名が付いた駅、武蔵新田からスタートする。

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最初は「福禄寿」の矢口中稲荷神社。武蔵新田駅にくっつくように建てられた小さな神社。向かって左隣りの壁の向こうは駅のプラットフォーム。ご神体は伏見から持ってきたお稲荷さん、規模は伏見稲荷の百万分の一くらいしかないけど。これがなんで福禄寿になるのかとか追求しない。

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のこり6つのうち、5つは駅と多摩川との間に散在するが、一つだけ駅から反対方向にあるのが「布袋尊」の頓兵衛地蔵。訪れてみると、立派な枝ぶりの大樹の下にお地蔵さん。これが頓兵衛地蔵に違いないと思ったら、本尊は隣の地蔵堂の中に安置されていた。

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ここで新田義興伝説が登場する。解説によると義興謀殺に加担した船頭が頓兵衛さんで、反省して地蔵をつくったという。ところが、善興の恨みで地蔵の顔が溶けてしまったという話。地蔵堂を覗いてみると、確かに石造りの地蔵の顔から胸にかけて崩れている。これは彫りやすい砂岩を使ったため風化したというのが実情で、そのため後世に地蔵堂が建てられた。 頓兵衛さん、反省したけど石は楽に彫れるのを選んだということ。

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地蔵堂の中には、いかにも取ってつけたような新しい布袋さんの像がある。

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東急の踏切を越えて武蔵新田商店街を歩いて行くと3つ目の「恵比寿」新田神社がある。

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境内にはご神木の大きなケヤキの木がある。

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元々新田義興の霊を慰めるために建てられた神社なので善興伝説の中心的な存在。境内にもゆかりの物がいろいろある。まずは本殿の左から裏に回ると柵で囲まれ木が生い茂った小山がある。これが善興の墓。

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石造りの狛犬は、唸るという。

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無念にも謀殺された善興の恨みのためか、不可思議な現象がいろいろ起こったという。そのひとつが裏山の竹で、雷が鳴るとピチピチと割れるという言い伝え。江戸時代にこの話を聞いた平賀源内が、この竹を使って厄除けの「矢守」をつくったのが「破魔矢」の元祖、したがって新田神社が破魔矢発祥の地とのこと。平賀源内は土用の鰻だけでなく、こんなところでもマーケティングの才覚を発揮してたんや。

あと、善興には関係ないと思うけど、なぜか石造りの卓球台がある。

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初詣客で賑わっていた境内の空いたスペースでは、学士の衣装でバイオリンを引きながら懐メロ詠唱、針金細工の実演、飴細工の実演、マリオのパントマイム、以上4人の老人がパフォーマンスを繰り広げていた。

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4つ目の「毘沙門天」は住宅地の中にある十寄神社。ここも善興と関係があって、善興の10人の従者を祀っている。その10人の名前には諸説あるらしいけど。ここも毘沙門天との関係は不明。

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5つ目の「弁財天」は多摩川の川べりに近いところにある東八幡神社。

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境内はがらんとしていて脇の方にブランコや滑り台があって公園のようになっている。鳥居の脇に、「矢口の渡し跡」の小さな石碑あり。

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すぐ横が多摩川の土手なので、河原で出てみる。天気が良くて気持ち良い。

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河原には、大田区が立てた矢口の渡しの説明看板があった。

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ここまで神社が続いたが、次はお寺。6番目の「寿老人」は延命寺。1328年に建てられたが30年後、義興の霊が雷火となったという火災で消失。ええ迷惑やん。その際、聖徳太子が彫った地蔵像だけが焼けなかったという言い伝えやけど、聖徳太子が地蔵を彫るわけないやん。

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本堂は綺麗な建物。

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境内には不思議な仏塔らしきものあり。

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最後の7番目「大黒天」は氷川神社。ここも社の割には広い境内が公園のようになってる。

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祀られてるのは素盞鳴尊(スサノオノミコト)。八俣の大蛇を退治して出雲に住み着いたことになってるので、大黒天=大国主命と関係あるとは言える。

多摩川七福神を回ってみて、この地が新田義興伝説と深く結びついていることを感じた。新田氏は同じ時代の足利、楠と比べて影が薄いうえに、善興は矢口の渡で船頭に謀られて船を沈められたうえに、矢を射られて死んだというどうみても負け組の人。それが怨念で信仰されるようになって、結果的に英雄扱いしてもらっている。その中心が新田神社で七福神の中でも飛び抜けて大きい。その他の寺社は割りと小さくて無人のところが多かった。無理くり七福神に仕立てあげた感があるのは良いとして、それより新田義興ゆかりの場所めぐりとした方が独自性を出せてよかったのではと思う。

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