今日の映画 – 幸福なラザロ(Lazzaro Felice)

Lazzaro felice

映画レビュー

127分なので平均的な長さの映画。だが、前半と後半とで全く異なる映画を2本観たような気にさせられる。

前半の舞台はイタリアの僻地で外界と孤立している貧しい農村。タバコ栽培を生業としている小作人のコミュニティが描かれる。夜になると明かりを灯すために電球を融通し合ったり、結婚しようとする若者たちを祝福するのに僅かなワインを回し飲みしたり、極度に貧しいながらも農作業に勤しむ人たちからは不幸は感じられず、むしろ幸せそうにさえ見える。

このコミュニティに外からやってくるのは、小作人を含めた領地の所有者の伯爵夫人と息子、ずる賢そうな管理人とその娘の4人。領主~管理人~小作人のヒエラルキーはまるで中世のようだが、電気、自動車だけでなく旧型の携帯電話も出てくるので時代が分からなくなるが、領主の息子の狂言誘拐事件で外部から警察が入ってくることで事態が明らかになる。

イタリアでは1980年くらいまで小作制度が残っていて、それが廃止されたことを領主が小作人に知らせずに隔離して搾取を続けていたということが実際にあったそうで、この映画の前半はその事件が下敷きになっている。映画では、当初携帯電話が通じなかったのに後には通話できるようになるが、村人が夜に山の上に見える赤い光を不審に思うのが実はアンテナ塔の航空障害灯だったというオチ。

そういう風に映画の前半は牧歌的であるが、村人全員が善人という訳でもなく、人の良いラザロを事あるごとに呼びつけて仕事を押し付ける。主人公のラザロは少し頭が足りないんじゃないかというくらいのお人好しで働き者。前半の終わりに小作人が開放されて村から出ていく時に、領主の息子を探して高い崖から転落してしまう。

死んでもおかしくないような落下からラザロが目覚めるが、並行して年老いた狼と聖者の話が語られる。それとは別に、聖書にはラザロという名のイエスの友人の話がいて、そのラザロは死後にイエスによって復活させられた聖人になったという人。キリスト教徒なら常識として映画のラザロの目覚めを聖人のラザロの復活と重ね合わせるはず。このへんの感覚が日本人には分かりづらいが・・・

リアリティの高い前半に比べて、後半は超現実的な話になっていく。まず、ラザロが村から外の社会へと出ていくが、本人が昔のままなのに再会した村人はざっくり20歳くらい歳を取っている。いうなればラザロが20年間眠っていたか、20年後にタイムワープしたようなもの。ラザロ自身は相変わらず世間知らずの善人で、ふらふらと歩いていくだけなのに偶然がかさなって村に居た人たちと都合よく次々に再会する。

結局、開放された小作人たちは都会の片隅で泥棒や詐欺で生計をたてながら、タンクを改造したような家に共同生活している。領主の搾取から逃れたものの、現代社会の中で這い上がれずヒエラルキーの底辺にいるという厳しい現実を見せつける。ただ、コミュニティごと農民から犯罪集団になっても、元領主の息子タンクレディを訪問する際に手土産を用意したりする人の良さが残っていて憎めない。落ちぶれても平気で嘘をつく癖が抜けていないタンクレディ、元小作の人たち、ラズロを並べることで完全な善人なんて居ないが、底辺に近い人の方が善の心を多少多く持っているということか?

前半の舞台が農村で明るい色調のシーンが多かったのに、後半の都会は色を抑え寒々としたシーンが多いのも対照的。ラストで元小作人たちが昔に住んでいた村を懐かしむ。何が幸せで何が不幸せか難しい。

予告編

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