新春京都探訪(1)

約30年前、学生だった頃に4年間京都へは通学したものの、いわゆる名所という所には皆目行っていない。大阪で生まれて育ち「京都なんか何時でも行ける」と思っていたので、敢えて足を向けようとしないまま今に至ってしまった。この冬は久しぶりに関西で年越しを迎えたので、一念発起して新春の京都に行ってみることにした。

京都駅の近くに宿を取り、1日目は東山の方へと行ってみる。天気は快晴、暖冬のせいもあって冷え込みはさほど厳しくなく、散歩するのにちょうど良い。

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まずは「蓮華王院」。写真は南側の門。

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門をくぐると左手に見えるのが本堂。別名三十三間堂と言われるくらい長い建物。有名な「通し矢」は本堂西側の軒下を南側から北向きに矢を射るらしいので、こちらから見ると反対側になる。

ちょうど暮れにテレビで三船敏郎主演の映画「宮本武蔵」を観たところやったけど、吉川英治の小説では、この宮本武蔵は吉岡伝七郎とこの三十三間堂で決闘したことになっている。

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「蓮華王院」の東側にある天台宗の小さな寺が「法住寺」。

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法住寺は今は小さな寺やけど、もともとは平安時代に後白河上皇が離宮として建てた広大な敷地の御殿で「法住寺殿」と呼ばれていた。三十三間堂はその敷地内に後から建てられたもので、本家はこっちやったということ。確かに「法住寺殿蹟」という石碑があった。

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境内に入ってみると、こじんまりとした本堂の前に正月らしく「申」の一文字。

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奥には、後白河天皇の陵墓がある。小さいながらも天皇陵なので宮内庁管轄。

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「法住寺」の北隣には、1594年に淀君が父親の浅井長政を供養するために建てたという「養源院」がある。

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本堂は少し奥まったところにあって、山門をくぐってから石畳の道が続く。

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本堂は秀吉の伏見城の殿舎を移築したものと言われ、その廊下の天井は伏見城を死守して討ち死した武将の血痕がついた板の間を供養のために天井に張ったという「血天井」。境内はそういう血なまぐさい歴史を感じさせること無くひっそりとしていた。

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蓮華王院の東側の通りを北に抜けると正面に京都国立博物館のレンガ造りの建物が見える。

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ここから東に向かって散策は続く。

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