映画レビュー
イギリス王室を題材にした映画は多く作られていて、今年も既に数本の公開が予定されている。この映画の時代は、ヴィクトリア女王の治世の末期、1887年から女王が亡くなる1901年。この時期、インドはイギリス領インド帝国として植民地化されていて、ヴィクトリアはインド女帝を兼任していた。
1887年のヴィクトリア女王の在位50周年記念式典でインドの記念硬貨を贈呈する役として選抜されたのが主人公のアブドゥル(アリ・ファザル)とモハメド(アディール・アクタル)の2人。アブドゥルは刑務所で働く低級の公務員で選ばれた理由は背が高くて見栄えがするというだけの理由。相方のモハメドは代役で選ばれたがイギリスまで行くことに気乗り薄で、行ってからもインドへ早く帰りたがる。
一方のヴィクトリア女王は高齢で夫や気を許せる側近は既に亡く、息子との関係もいまいち良くなく、孤独で気難しくなっている。そんなところに異国インドから来たアブドゥルに目を留め身近に置いて寵愛する。ここまでは軽いコメディのニュアンスを混ぜながら軽いタッチで描いていて悪くない。アブドゥルの大胆な行動も雲の上の女王への尊敬と忠誠によるものと考えれば受け入れられる。
ところが、映画の後半は、待遇が良くなったアブドゥルの態度が鼻についてくる。女王が「ムンシ(師)」と呼ぶのを受け入れたり、インドに興味を持った女王がヒンディー語を学びたいというのに対して、自分の言葉ウルドゥー語を「最も高貴な言語」と言って教えるところ、さらにはインド大反乱はヒンドゥー教徒が起こしたものでイスラム教徒はイギリスと鎮圧する側に回ったなど、立場を利用して自分に都合の良いことを女王へ吹き込む。自分と呼び寄せた家族が与えられた家で、インドに居たら実現不可能な豊かに暮らしをエンジョイすることはまあ良いとしよう。しかし、一緒にイギリスへ来たモハメドが寒い屋根裏部屋住みの待遇のままで病気になっているのにも気を留めず死なせてしまうに至っては、出世志向で人間性に問題ありと思わざるを得ない。
部分的に史実に基づいた映画ということになっていて、アブドゥルが実在したことは確か。しかし、その存在を王室の汚点とみたヴィクトリア女王の息子や側近がイギリス側の記録を抹消したらしく、アブドゥルが残した日記が原作の元ネタらしい。なので、アブドゥルの主観的な日記に映画製作者の追加、改変が加わっているのだろうから、この映画を史実と見るのはどうかなと思う。そもそも、70歳近い女王がインドの言葉を習って習字をするとは考えにくいし、亡くなったモハメドの葬式に顔をだすなどあり得ない。
昨年に初めてインドに旅行してみて、それまでヒンドゥー教徒の国だと思っていたインドに、思った以上にイスラム教徒とその文化が共存していることを初めて知った。この映画でも、アブドゥルはイスラム教徒なのにヒンドゥー教徒だと思われたり、イギリス人が期待するインド人の服装を強いられるところなど、当時のイギリス人のインドに対する無知、無関心が垣間見えたところは興味深かった。が、それ以外は、どうも後味の良くない映画だった。
予告編
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