映画レビュー
この映画を知った最初の印象は、「アメリカの副大統領を主人公にした映画なんて面白くないだろう」というもの。副大統領の役割は大統領が万一職務を続けられなくなった時の代理くらいで、話題になるのは大統領候補が選挙の際に、副大統領候補に誰を指名すれば選挙に有利になるかという視点で人選するときくらい。大統領が決まれば、あとは黒子としてほとんど存在感のないまま終わるのが副大統領の運命くらいに思っていた。ところが、ディック・チェイニーは違った。
映画はディックの若いダメダメ時代から始まる。ワイオミングという田舎で架線工事の作業員をしていたのを聡明で野心のある妻リンに尻を叩かれて政界に入りドナルド・ラムズフェルドに師事しながら権力の階段を登るところが描かれる。ついにジョージ・W・ブッシュの副大統領になったので名前は知っていたが、彼が「影の政府」を組織して政権を切り回していた実力者だったということはこの映画を観るまで知らなかった。そもそも、ジョージ・W・ブッシュは父親と違って傍目にも頼りない大統領に見えたが、裏にディックが居たということで納得がいく。「Vice」は「副(大統領)」の意味だが、単独で「悪徳」という意味深なタイトル。
映画はところどころでナレーションが入るが、このナレーションの入れ方がマイケル・ムーアの一連の映画を連想させる。このナレーションの声の主も途中で登場するが、みたところ普通の労働者風でメインのストーリーとの関連性が分からない。映画の最後の10分で、この男の役割が分かるのだが・・・。他にも、ディックとリンの間でシェークスピアが話題になった際に、2人がベッドの中で「シェイクスピア風にやってみよう」とシェークスピアの劇のセリフのような会話を二通り演ってみせるところなどはコメディ。また、映画の中で何度もルアーでの川釣りのシーンを見せておいて、ディックが副大統領候補になることを受ける代わりに実権を振るうことを言葉巧みにジョージ・W・ブッシュに呑ませるところに獲物を釣り上げるシーンを重ねるなど笑いを取るところも随所に埋め込まれている。
この映画をカテゴリーに嵌めるのは難しい。政治映画のようでもあり、伝記映画のようでもあるが強いて言えばやっぱりコメディ。主演のクリスチャン・ベールがインタビューで、「この映画を政治的な映画にしたくなかった。」と言っている。実在でしかもまだ生きている、ブッシュ、チェイニー、ラムズフェルド、パウエル、ライスなどがそっくりさんのメイクで出演して、しかも当時の政権の裏側を想像と創作を交えて見せているが、それらを批判するよりもコメディにしてしまっているところで政治的とはいえないかもしれない。ただ、視聴者がジョージ・W・ブッシュとドナルド・トランプを対比して考えざるを得ないところでは十分に政治的といえるのではないだろうか?
出演者の中では、体重を20kg増やし、髪の毛を剃って、原型を留めない役作りをしたクリスチャン・ベールの存在感が終始圧倒的。他にも、リン役のエイミー・アダムス、ジョージ・W・ブッシュ役のサム・ロックウェル、ドナルド・ラムズフェルド役のスティーブ・カレルも良かった。この映画は今年のアカデミー賞の8部門にノミネートされたが、残念ながら獲得したのはメイクアップ&ヘアスタイリング賞のみ。結果は振るわなかったが俳優陣が充実していて見ごたえがあった。
予告編
2019年に観た映画
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