映画レビュー
予告編と断片的な事前情報で、フランシス・マクドーマンド演じる母親が殺された娘の犯人を検挙できない警察を挑発する大看板を3つ建てることは映画館へ行く前から分かっていた。そうなると、体制側の怠慢な警察とそれに抗議する弱い一市民という構図を想像してしまうが、この予想はあっさり外れてしまう。
警察署員はすぐに暴力に走るディクソン(サム・ロックウェル)を筆頭に人種差別者だらけでお世辞にも素晴らしいとは言えないが、ミズーリ州という土地柄を考えればまあそんなものかも知れない。だが、警察署長のウィロビー(ウッディ・ハレルソン)は人格者で町の全ての人から尊敬と信頼を集めていて、しかも末期がんで余命数か月という人。その善人署長を名指しで看板で糾弾し、状況説明に来た署長に町の全員、必要ならアメリカ全員のDNAを調べて犯人を見つけるとか人権を無視したような主張をするアブナイ母親がモンスター・マザーに見えてくる。
さらにアブナイのが警官のディクソンで、署長の死をきっかけに案の定暴発する(このアブナイ警官がヘッドセットでアバの「チキチータ」を内緒で聴いているところには笑わされるが)。さらに問題の看板が何者かによって放火されたことで母親もキレて警察署を焼き討ちするに至ってはアメリカ南部の伝統に則った暴力の連鎖による悲劇の予感すらしてくる。しかし、この脚本のうまいところは、怒りに駆られてとんでもないことをしでかす人たちも根っからの悪人ではなく、良心と人間らしさを持っていることをさりげなく見せているところ。そして、死んだ署長が残した心のこもった手紙が状況を一変させる筋書きが良くできている。「怒り」がこの映画のテーマであるが、それに応じた「許し」があるところでほっとする。
2018年のアカデミー賞には作品賞、主演女優賞(フランシス・マクドーマン)、助演男優賞(ウッディ・ハレルソン、サム・ロックウェル)、脚本賞、編集賞の6部門にノミネートされている。他のノミネートされている映画を見ていないが、マクドーマンの演技は受賞してもおかしくない。同一映画から2人の助演男優がノミネートというのが過去にあったか記憶がないが、この二人もよい。難を言えば、小さな男は要らんかったということぐらい。
予告編
2018年に観た映画
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