今日の映画 -あなたの名前を呼べたなら(Sir)

Sir

映画レビュー

舞台はインドのムンバイ。主な登場人物はお金持ちの御曹司でアメリカでの生活経験もあるアシュヴィンとアシュヴィンの家でメイドとして働くラトナ。ラトナはまだ若いが未亡人で、元々住んでいた古い因習が残る地方では、未亡人は指輪などの装飾品を身につけることなく一生喪に服さなければならないとされているようなところ。それを嫌ってムンバイに働きに出て、妹に自分の二の舞を踏ませないよう学校へ行かせるための仕送りをしている。

この映画はインドが抱える社会構造の問題をテーマにしているが、持参金が少ない花嫁が焼き殺されるといった女性の立場の弱さという男女の不平等が下敷きにある。これが第1のポイント。

映画の中でラトナはメイドの立場からステップアップするために、空いた時間で仕立て屋に見習い奉公に行くが仕立て屋の親父にいいように使われるだけで肝心の仕事を教えてもらえない。アシュヴィンの了解を得て、ミシンでの裁縫の教室へ通うようになって一歩を踏み出すが、彼女がなりたいというのは「仕立て屋」ではなくて「ファッション・デザイナー」。ここは日本人には理解しにくいところだが、ヒンズー教のいわゆるカースト制度は教科書に出てくる「バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラ」の4階級だけではなく、職業ごとに細かく定義されていて簡単には親の職業以外の仕事に就けないという事情も背景にある。彼女としては、制度の中の「仕立て屋」になるよりも、制度で定義されていない「ファッション・デザイナー」になる方が実態はともあれ自由度が高かったということ。これが第2のポイント。

ここまでは他の映画でも題材になったかもしれないが、この映画がさらに踏み込んだのが、お金持ちの御曹司と貧しいメイドとの恋愛っぽい関係。日本でも上流家庭を自認する人たちは結婚相手の家柄を気にしたりするかもしれないが、インドでの貧富の差は日本では考えられないくらいの大きなギャップで簡単には乗り越えられない、それが新たな「身分制度」になっている。したがって、アシュヴィンとラトナとの関係もアメリカ帰りのアシュヴィンが、「アメリカだったら…」と考えてちょっかい出したのかもしれないが、インド100%のラトナにとっては有り得ない話で返って迷惑というのが現実。

そういう訳で、現実には有り得ないが、有り得ないうえで何かお互いに心に通じるものがあったというのがこの映画の見せたいところかと思う。しかし、インドでは有り得ないと思う現実の壁は厳しく、この映画はヨーロッパの映画祭では評価され、日本で劇場公開されているが、インド本国では公開されていないという。

映画のテーマは別として、観た感想としてはラトナの努力と向上心を応援したくなる。が、スキルアップの唯一の手段が洋裁教室で、そこで初めて始めた裁縫で「ファッション・デザイナー」を目指すという筋書きはちょっと飛躍しすぎているように感じた。非現実的な物語を見せることで問題提起しているのは理解できるが、物語にもうひと工夫あれば良かったと思う。

予告編

2019年に観た映画

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