映画レビュー
原題の「Creed」は「信念」とか「信条」という意味。この映画では「テンプル騎士団」と対立する勢力としてアサシン(=暗殺者)教団が存在してこの2つが歴史的に争ってきたという設定。したがって、アサシン教団の一員としての気概とか信念といった意味かな。
映画そのものは小説や書下ろしの脚本ではなく、ユービアイソフトのゲームに基づいて制作された。なので、ゲームをプレイした人たちには、この映画での再現性がどうかとか、キャラクター設定の比較とか、類似のシーンの有無など楽しめるポイントがあるのかもしれないが、ゲームのことを知らないのでなんとも言えない。
映画の出だしは悪くない、テンプル騎士団とアサシン教団の説明のナレーションが流れて舞台は1986年、主人公カラム・リンチの少年時代の話から始まる。ここでカラムの母親が椅子に座ったまま殺されていて、どうやら殺したのは父親らしいがどうもよく分からない。そうしている間に襲撃者がやってきて、父親の逃げろという言葉のままに脱出、うまく逃げおおせたところでシーンは30年後に飛ぶ。
成人したカラム・リンチ(マイケル・ファスベンダー)はテキサスで死刑囚になっていて薬物注射で死刑執行されるが実際には死なずに謎の施設で目が覚める。生かされた理由はカラムがアサシン教団の首領の子孫でその受け継いだ遺伝子から過去の記憶を引き出そうということらしい。ここのソフィア・ライキン博士(マリオン・コティヤール)が「アニムス」という遊園地の乗り物みたいな機械にカラムを乗せて500年前の祖先でアサシンであるアギラールの体験を追体験させることでアギラールの記憶にある宝物「エデンの果実(Apple of Eden)」の在処を探ろうということらしい。
まず、ここで違和感を感じるのは、遺伝子と記憶は全く別物で、祖先の遺伝子を引き継いだからといって記憶を受け継ぐことは科学的にあり得ないが、映画ではそんなことはお構いなし。そして、エデンの果実を巡ってテンプル騎士団とアサシン教団が争っていたといことは分かるが、エデンの果実が何なのかについての説明が無い。説明がないが、「エデンの果実」は人間の争いを無くすことができるような物らしく、それやったら人類平和でええやんとなるところやけど、テンプル騎士団はそれを悪用して世界を支配しようとしているのではないかと薄々類推する。
このように、ストーリーの骨子の部分に弱点があるが、500年前のスペインの街の撮影はかなり良い。街全体を俯瞰する景色も細かく作ってあるし、アギラールと相棒の女性マリア(アリアンヌ・ラベッド)が追手と戦いながら闘争するシーンはこの映画で一番のハイライト。
現代に戻ってカラムは捕らえられていた父親と対峙するが、そこで語られる会話がいまいちよく分からん。母親は父親に殺されたのではなく自ら命を絶ったが、それがなぜなのかが良く分からない。
ラストシーンも実はテンプル騎士団の一員だったアラン・リッキン(ジェレミー・アイアンズ)が首尾よくエデンの果実を手に入れたのに、取り返しに来るであろうカラムたちへの防御を全くやっておらず、簡単にやられてしまうのはお粗末すぎる。
映画を通して言えるのは、500年前のスペインの部分はアクション映画としては良くできているが、現代部分は支離滅裂。ジェレミー・アイアンズ、マリオン・コティヤールと達者な2人を配したのはほとんど無駄遣い。シャーロット・ランプリングに至っては存在する意味すら無い役を割り当てられて気の毒になるくらい。もうすこし演技らしい演技を見たかった。
テンプル騎士団について調べてみると、起源は第1回の十字軍にまで遡る1119年。対イスラム勢力との戦いで活躍したが、その豊富な財力を狙ったフランスのフィリップ4世の策略で1307年に異端として壊滅させられている。異端戦ったのに異端として壊滅する悲劇的な最後は、スターウォーズでパルパティーンのオーダー66で壊滅させられたジェダイ騎士団を連想する。
その後19世紀に名誉回復しているが、キリスト教の歴史で微妙な立場にあるらしい。この映画で過去に遡るのは15世紀なので、その次代はテンプル騎士団はすでに壊滅した後なので映画、ゲーム共に架空の設定ということになる。また、キリスト教徒がイベリア半島をイスラムから取り戻すレコンキスタは13世紀なので、15世紀のスペインにまだスルタンが居るというのも変。どうやら史実とは関係なく、都合の良い時代をつまみ食いしてストーリーを組み立てたのではないかと思う。また、テンプル騎士団=キリスト教に対する勢力はイスラム教なのでアサシン教団=イスラム教でないといけないが、映画ではスルタンを除いてイスラム色はどこにも出てこない。こういうところにもご都合主義が見え隠れする。
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