映画レビュー
ウッディ・アレンは好きな監督なので最近の映画は欠かさず観るようにしているが、この映画は2017年の映画。日本での公開が2020年になったのは、2017年アメリカでエジソンズ・ゲームでも悪名を馳せたハーヴェイ・ワインスタインのセクハラが暴露され#MeToo運動などが盛り上がったあおりで、アレンが1992年当時に交際していたミア・ファローの幼女に性的虐待を加えた疑惑(証拠不十分で不起訴)が再燃。グリフィン・ニューマン、レベッカ・ホール、ティモシー・シャラメ、セレーナ・ゴメス、エル・ファニングが次々とアレンの作品に出演したことを後悔しているというコメントを出したり、出演料を社会活動の団体へ寄付したりという騒ぎになった。それを受けて、製作のアマゾン・スタジオがアメリカでの上映を見合わせ。アレンの会社が国際配給権を獲得した結果、日本で公開されたが本国アメリカでは未だ公開されていないという作品。
そういうごたごたの予備知識無しに観れば、ニューヨークを舞台にしたさわやかなラブコメディ。アレンは自分の映画に出演しなくなってからも出演者に自分自身を投影している作品が多いが、この映画でも主役のティモシー・シャラメに恵まれた環境に育ったのに、なにか斜に構えるニューヨークっ子を演じさせている。アレンの人格の投影という意味では、リーヴ・シュレイバー演じる自分が撮った作品に自信が持てない映画監督や、奥さんの浮気を疑っている脚本家などもアレンの分身といえる。ジュード・ロウはさすがにちょっと違うけど。
アレンの映画のコメディ部分は独特の雰囲気があるが、それはこの映画でも健在。例えば、タクシーの中でガールフレンド(エル・ファニング)が取材先で誘惑されているかもしれないとセレーナ・ゴメスに吹き込まれたティモシー・シャラメが段々と不安になって後先考えずに電話するところなど、スタンドアップ・コメディのシンプルさとアレンならではの偏執狂的なところが混じった感じ。
出演の俳優陣はそうそうたるメンバー。特に若手にとっては、アレンの映画に出演することは一流への登竜門と言ってもよいくらい箔が付くので、おそらく皆打診があった時には快諾していたはず。それが、#MeTooやらの流れで監督批判に走るというのは残念に思う。エル・ファニングなんか、アリゾナだかどっかの田舎出身のちょっと痛い女の子を好演していたのに・・・。
アレンのフィルモグラフィーを辿ってみると、1965年から2017年までの53年間で監督/脚本/出演いずれもしていない年はわずか5年だけ。特に、1989年からは毎年欠かさず映画を作り続けてきたのに、劇場公開作は2017年の本作品で途絶えてしまっている。が、調べてみると、「Rifkin’s Festival」という新作が2020年公開予定で製作されている。舞台はヨーロッパということなので、ヨーロッパからアメリカに戻ってきたアレンが、そのアメリカに愛想をつかして再びヨーロッパということなのかもしれない。