映画レビュー
映画は冒頭の裁判所のシーンから過去に戻って主人公の少年ゼインの家庭での生活、そして家出してからのエチオピア人の母子家庭での居候生活とその終わり、そして裁判所のシーンへと戻ってくるという構成。予備知識なしに映画を見ても中東のどこかの国ということは分かるが、宗教色が感じられないのでどこかなと思ったら舞台はレバノン。レバノンへはシリアからの難民が100万人以上流入して問題となっているが、ゼインの家族は移民ではなく極貧の家庭のようにみえる。レバノンの宗教はキリスト教が約4割、イスラム教が約5割、シリアからの難民の大多数はイスラム教だが映画では宗教的なシーンは殆んど無い。中東では宗教の対立も問題の一つではあるが、「貧困」に焦点を当てるために和えて宗教色を取り除く意図があるのかもしれない。
家は貧しいのに子沢山で、ゼインは親が出生届を出していなかったためにIDが無いだけでなく、生年月日も分からないというすごいことになっている。普通、届け出してなくても子供が生まれた日くらいは覚えてるやろうと思うけど、それが普通でないくらいひどい状況ということ。ゼインは学校へも行かずに、知り合いの店で働かされている。
ゼインを演じる子役のゼイン・アル=ハッジは自身もレバノンへ逃れてきたシリア難民。暴力や略奪の連鎖という理論を信じるならゼインはその底辺近くに居るのに、妹への思いやりや、転がり込んだ家庭での赤ん坊の面倒をみるなどの優しさを持っている。良い子という訳ではなく平気で盗みもするが、生きていくための知恵を持った賢い子をこの子役はみごとに演じている。
この映画のほぼ全てのシーンに登場するゼインの物語なので、この映画の出来はゼインの配役と演技でほぼ決まってしまうようなところがある。一方で、裁判所のシーンは被告となったゼインの両親をゼインが「自分を生んだ罪」で告発するというのはいかにも大人に知恵をつけられたように感じてどうかなと思う。両親の責任感の不足はそれまでの映画の中で十分に見せられているし・・・。
予告編
2019年に観た映画
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