今日の映画 – ブレードランナー 2049(Blade Runner 2049)

Blade Runner 2049

映画レビュー

1982年の「ブレードランナー」の続編。163分という最近の映画にしては珍しい長尺。前作の監督リドリー・スコットが製作総指揮にまわり、ドゥニ・ビルヌーブが監督した。制作発表から何かと話題になっていたが、完成後に批評家には好意的に受け取られていたにも関わらず、アメリカでの興行成績は振るわないらしい。

映画館で観た感想は、映像が素晴らしく、監督、脚本、俳優それぞれ悪くないし、映画全体としても好みの映画、163分を長いと感じずに最後まで楽しんだ。

映像に関しては、前作の暗闇と明かりのコントラストを踏襲した世界観に加えて、廃墟となったサンディエゴやラスベガスの虚無感たっぷりの映像など拡張した部分を含めてうまくまとまっている。特に、SF映画で都市の雑踏のシーンを撮る際に、「ブレードランナー」以降の映画を作る人たちは意識せざるを得なかったであろう東洋が入り混じった風景は、ネオンサインにホログラムが加わってさらに強力になっている。

前作もそうだったが、この映画の特徴は、対立する勢力(LAPD、ウォレス社、レプリカント地下組織)にKとデッカードが絡む複雑な構図なのに主要登場人物が少ないこと。LAPDのシーンで警察官って3人くらいしか出てなかったような気がするし、ウォレスは大企業のトップなのにほとんどラヴだけしか出てこない。お陰でややこしい人間関係と顔を覚えなくてよいのは助かる。

主演のライアン・ゴズリングは「ラ・ラ・ランド」で名を売ったのは不本意だったのではないかと思うくらい、「ナイスガイズ!」とか他の映画での出来が良かったので期待していたが、これでスターへの道を固めたのではないだろうか? ハリソン・フォードも出世作の「スター・ウォーズ」の後「ブレードランナー」出演あたりから演技派の仕事が増えているので、タイプは違うがゴズリングにも期待できそう。

ジョイ役のアナ・デ・アルマスは最近「ハンズ・オブ・ストーン」で観たばかり。サッパー・モートン役のデイヴ・バウティスタは「ガーデイアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズでおなじみ。マダム役のロビン・ライトは「ハウス・オブ・カード 野望の階段」でゴールデン・グローブ賞獲得の勢いで映画でも頑張ってる。ジャレッド・レトは毎回違った役でその才能を見せてくれるが、この映画でも気持ち悪い役柄を好演。ラヴ役のシルヴィア・フークスはオランダの女優でアメリカではまだ無名みたい。バーカッド・アブディは端役に友情出演みたいな感じながらも独特の風貌で存在感あり。忘れてはならないのは、前作でデッカードを見張っていたちょっと不気味なガフ役のエドワード・ジェームズ・オルモスは、かなり太ったが同役でちょい出演。あとレイチェル役だったショーン・ヤングもクレジットされているが、昔の肖像権ということだろうか?

前作は、劇場公開番を含めて5つの版があり、映画の中で明示的に説明されていない部分の解釈が議論として続いていたが、この映画で少なくともレイチェルがどうなったかは明らかになった。

デッカード自身がレプリカントかどうかという議論もあるが、この映画のラスト近くのKとラヴとの格闘シーンで、デッカードは為す術もなく溺れかけていたので、個人的にはレプリカントではないと結論づけたい。一方、放射能で汚染されたラスベガスで隠遁生活を長期に渡ってできたというのは人間離れしているという人もいるかもしれない。

ストーリーはよく考えられていて、Kがデッカードとレイチェルの息子だと思わせておいて、途中でひっくり返すとか、ラストで娘を出してくるところとか意表を突く。しかし、納得できないのは、娘の子供時代の実記憶がなぜKに記憶として与えられていたのかが良く分からない。これを偶然というのはちょっと無理がある。

前作から引き継ぐテーマはレプリカントと人間の違い、あるいは人間とは何かということに関しては、レプリカントの生殖というよりリアリティのある話へ発展している。それに加えて人間ではないエンティティとしてジョイが加わっている。ジョイは、パーソナル・アシスタントというか、最近はやりのスマートスピーカーをより高度にしたようなもので、頭脳は学習機能のあるAIでサーバにあり、手元での実体はホログラムというもの。このジョイもウォレス社の製品で街に巨大なホログラムの広告があるが、購入したユーザごとにパーソナライズされる仕組み。主人公のKもこのユーザでジョイと恋人気分でいるのが妙に物悲しい。

映画の中で面白いのは、ジョイがKが今までのしがらみを捨てて独自の考えで行動しようとしたときにサーバ上の自分のデータを敵方に探られるのを防ぐため、サーバと切り離して手元の端末に移してくれというくだり。これは、AIでありながら自我が芽生えたようなもので興味深い。さらに、ジョイがサーバから切断されたタイミングで、ウォレス社からジョイ経由でKのことを盗聴しようとしていたラヴも回線が切断されてできなくなったのは、スマートスピーカーのような仕組みがユーザのプライバシーを侵害する可能性を示唆している。

前作と本作との間には30年の期間があるが、その間を埋める3つの短編が公式に公開サれている。

2022:ブラックアウト

日本のアニメ監督渡辺信一郎による短編。本編映画の中でも引用されるレプリカントのテロ行為によるカリフォルニアのブラックアウト(大停電)とそれによるレプリカント関連のデータの喪失の背景が描かれる。

20136: ネクサス・ドーン

ブラックアウトの事件によって禁止されたレプリカントの製造をウォレスが再開しようとすることと、新型のレプリカントが描かれる。

2048: ノーウェア・トゥ・ラン

映画本編の冒頭で旧型レプリカントであるゆえにKに処分されるサッパーの1年前のエピソード。ひっそりと身を隠して暮らしていたのに、気の毒な母娘を助けたためにレプリカントであることがバレて逃亡しなければならなくなった悲しい身の上が描かれる。

この3つの短編を観ておけば前作からのいきさつが理解できるのでお勧め。でも、この3つを観なくても前作を観ていれば30年のギャップはある程度想像で補間できるので大丈夫。

逆に、前作を見ていない人がこの映画を観て十分楽しめるかどうかは心配なところ。というのも、レイチェルが何者かということと、前作の終わりでデッカードとレイチェルが逃亡するということを理解していないと、話の流れが理解しにくいように思う。なんなら、3編の短編の前に、前作の後日談でデッカードとレイチェルのその後みたいなのを一作作っておいた方が前作を観ていない人には親切だったのではと思う。

アメリカで思ったように客足が伸びなかったというのも、前作を観た人の支持を得られても、観ていない若い世代の人たちを取り込む手立てが足りなかったのではと想像する。さらに、ブレードランナーの世界を知らない人にとっては、3時間近い上映時間が興行的に不利に働いたこともあるかと思う。

最後に、前作での疑問の幾つかはこの映画で解決したが、新たな疑問というか別解釈できそうな点もある。まずは、Kがデッカードとレイチェルとの子供を探して遺伝子データで男女の双子を見つけたこと。その後、カモフラージュで男の子が生き延びたようにみせたが実は女の子が生き延びたということになっている。しかし、それができるなら、男の子も生きていても不思議はないし、死んだという証拠もない。そして、その男の子はKだったとしても矛盾はしない。

さらに、ラストシーンでKは致命傷を負って横たわることで死ぬことが示唆されているが、これも死んだかどうか分からない。悪者のウォレスと反乱を計画しているレプリカントが無傷で残っているのでリドリー・スコットがその気に成れば続々編を作ってシリーズ化も可能なような下地は作られている。やらないほうが良いと思うが・・・

予告編

2017年に観た映画

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